俺が司馬遼太郎の本に出会ったのは夏休みのときだった。
最初はドラマになったあの『功名が辻』からでした。
山内一豊と妻、千代の物語である。まだ中学生とあってなかなか
難しいところもあったがすごく面白かった。でもハマッた。
次に読んだのは『坂の上の雲』である。むちゃくちゃ長かったがやっぱり面白かった。
一人は、病魔と闘いながらも俳諧の革新に挑んだ、近代俳句の祖正岡子規。
一人は、日露戦で世界最強といわれたコサック騎兵を撃破した、日本騎兵の創設者秋山好古。
もう一人は、その弟で日本海海戦の丁字戦法をあみだし、バルチック艦隊を破った海軍参謀秋山真之である。
日露戦のヒーローはたくさん今回は俺が注目した1人を紹介する。
『乃木希典』である。
1849年(嘉永2年)11月11日、江戸の長府藩邸に生れる。
1865年(慶応元年)報国隊に参加し幕府軍と戦う。
69年(明治2年)伏見御親兵兵営に入営、翌年脱藩騒動鎮圧のため帰藩する。
西南の役で小倉歩兵第十四連隊長(心得)として、熊本鎮台への救援に急行中、植木付近での薩摩軍との遭遇戦で連隊旗(軍旗)を喪失する。
(軍旗を喪失する。 これは乃木にとって痛いことだった。
彼は遺書にもそのことを悔やんでいた。)
86年〜88年川上操六とともにドイツ留学、帰国後軍紀確立を主張する報告書を提出。
日清戦争では歩兵第1旅団長として第ニ軍(大山巌大将)麾下で出征。金州、旅順を攻略。さらに北上して蓋平、太平山、牛荘、田庄台に転戦。
96年に台湾総督に就任。日露戦争では留守近衛師団長から旅順攻略のために新設された第三軍司令官として参戦、激戦の末陥落させたが、二子をはじめ多くの戦死者をだす。敵将ステッセルとの水師営の会見は、日本武士道の精華として賞賛された。 奉天会戦では左翼からの包囲攻撃の主兵として力戦するも一歩及ばず、ロシア軍主力は鉄嶺方面に逃れた。
その後の戦後には学習院院長として皇族の教育を担当する。
1912年9月13日明治天皇の大喪の日、妻静子とともに殉死。
国民的英雄として多くの伝説をうみ、またその死は賛否両論をまきおこした。
乃木は不運な男であった。軍旗を喪失し、旅順、奉天戦でも力攻めをし、ついには『突撃』という無能なことをした。
しかし乃木は明治天皇に好かれていた。
明治天皇が死んだとき彼は不幸のどん底、地獄を見たであろう。
生きてるということの地獄を。
乃木は死ぬことを美貌と思っていた。(これも武士らしい。)
妻の静子も薄々乃木が自殺しようとしてることを感じていた。
そして明治天皇の大喪の日。乃木は妻までを道ずれにする気は
なかった。だが静子も乃木と共に殉死した。
このことは司馬さんの『殉死』という本に書いてある。
是非1度読んでもらいたいと思う。
最初はドラマになったあの『功名が辻』からでした。
山内一豊と妻、千代の物語である。まだ中学生とあってなかなか
難しいところもあったがすごく面白かった。でもハマッた。
次に読んだのは『坂の上の雲』である。むちゃくちゃ長かったがやっぱり面白かった。
一人は、病魔と闘いながらも俳諧の革新に挑んだ、近代俳句の祖正岡子規。
一人は、日露戦で世界最強といわれたコサック騎兵を撃破した、日本騎兵の創設者秋山好古。
もう一人は、その弟で日本海海戦の丁字戦法をあみだし、バルチック艦隊を破った海軍参謀秋山真之である。
日露戦のヒーローはたくさん今回は俺が注目した1人を紹介する。
『乃木希典』である。
1849年(嘉永2年)11月11日、江戸の長府藩邸に生れる。
1865年(慶応元年)報国隊に参加し幕府軍と戦う。
69年(明治2年)伏見御親兵兵営に入営、翌年脱藩騒動鎮圧のため帰藩する。
西南の役で小倉歩兵第十四連隊長(心得)として、熊本鎮台への救援に急行中、植木付近での薩摩軍との遭遇戦で連隊旗(軍旗)を喪失する。
(軍旗を喪失する。 これは乃木にとって痛いことだった。
彼は遺書にもそのことを悔やんでいた。)
86年〜88年川上操六とともにドイツ留学、帰国後軍紀確立を主張する報告書を提出。
日清戦争では歩兵第1旅団長として第ニ軍(大山巌大将)麾下で出征。金州、旅順を攻略。さらに北上して蓋平、太平山、牛荘、田庄台に転戦。
96年に台湾総督に就任。日露戦争では留守近衛師団長から旅順攻略のために新設された第三軍司令官として参戦、激戦の末陥落させたが、二子をはじめ多くの戦死者をだす。敵将ステッセルとの水師営の会見は、日本武士道の精華として賞賛された。 奉天会戦では左翼からの包囲攻撃の主兵として力戦するも一歩及ばず、ロシア軍主力は鉄嶺方面に逃れた。
その後の戦後には学習院院長として皇族の教育を担当する。
1912年9月13日明治天皇の大喪の日、妻静子とともに殉死。
国民的英雄として多くの伝説をうみ、またその死は賛否両論をまきおこした。
乃木は不運な男であった。軍旗を喪失し、旅順、奉天戦でも力攻めをし、ついには『突撃』という無能なことをした。
しかし乃木は明治天皇に好かれていた。
明治天皇が死んだとき彼は不幸のどん底、地獄を見たであろう。
生きてるということの地獄を。
乃木は死ぬことを美貌と思っていた。(これも武士らしい。)
妻の静子も薄々乃木が自殺しようとしてることを感じていた。
そして明治天皇の大喪の日。乃木は妻までを道ずれにする気は
なかった。だが静子も乃木と共に殉死した。
このことは司馬さんの『殉死』という本に書いてある。
是非1度読んでもらいたいと思う。